宇宙創成のこだまを聞く:初期宇宙重力波背景放射が解き明かす宇宙論の最前線
宇宙の歴史を遡る探求において、初期宇宙は未だ多くの謎に包まれたフロンティアです。宇宙マイクロ波背景放射(CMB)は、宇宙誕生から約38万年後の「宇宙の晴れ上がり」の時代の情報をもたらし、標準宇宙モデル(ΛCDMモデル)の確立に大きく貢献しました。しかし、CMBは光であるため、それ以前の、宇宙がプラズマ状態にあって光が自由に伝播できなかった時代、すなわち宇宙誕生から晴れ上がりまでの「暗黒時代」よりさらに初期の情報に直接アクセスすることは困難です。
初期宇宙を探る新たな窓:重力波
ここで重要になるのが重力波です。重力波は時空の歪みが伝わる波動であり、物質とほとんど相互作用しません。この性質のおかげで、重力波は宇宙が誕生して間もない、光が閉じ込められていた時代からの情報をそのまま運んでくることができると考えられています。特に、宇宙論的なスケールで発生したとされる重力波の集まりは、「初期宇宙重力波背景放射(Primordial Gravitational Wave Background; PGB)」と呼ばれ、CMBに次ぐ、あるいはそれ以上に初期の宇宙を探る強力なツールとして注目されています。
初期宇宙重力波背景放射の起源
PGBの主要な起源として最も有力視されているのが、初期宇宙に起きたとされる指数関数的な膨張段階、すなわちインフレーションです。インフレーション理論は、宇宙の平坦性問題や地平線問題を自然に説明するだけでなく、宇宙の大規模構造の種となる初期ゆらぎ(密度ゆらぎ)が生成されたメカニズムとしても知られています。
インフレーション中には、量子的なゆらぎが引き伸ばされ、古典的なスケールのゆらぎへと成長します。このゆらぎは、物質の密度ゆらぎ(スカラーモード)だけでなく、時空そのもののゆらぎ(テンソルモード)としても存在します。このテンソルモードのゆらぎが、インフレーション起源の重力波背景放射として予言されています。インフレーション理論は、このPGBが持つべき特徴的なスペクトル(重力波の周波数ごとの強度分布)を予測しており、その観測はインフレーションの存在や具体的なモデルを検証する上で極めて重要です。
インフレーション以外にも、PGBの起源となりうる現象がいくつか提唱されています。例えば、初期宇宙における相転移(対称性の破れ)、宇宙ひもやドメインウォールといった宇宙論的位相欠陥の形成と進化、初期ブラックホールの合体などが考えられています。これらの起源から生じる重力波は、インフレーション起源のものとは異なるスペクトルや偏光特性を持つと予測されており、PGBの観測は、インフレーションだけでなく、これらの多様な初期宇宙シナリオを検証する手がかりともなります。
初期宇宙重力波背景放射の観測
PGBの観測は極めて困難ですが、いくつかの異なる方法が研究・実施されています。
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CMB偏光の観測: インフレーション起源のPGBは、宇宙の晴れ上がりの際にCMBに対して特徴的な偏光パターン(Bモード偏光)を誘起します。CMBのBモード偏光は、銀河系の前景放射や重力レンズ効果によっても生じるため、これらを精密に除去した上で、インフレーション起源のBモードを検出する必要があります。現在のCMB観測(例: Planck衛星、地上望遠鏡群)では、前景放射などが支配的であり、インフレーション起源のBモード偏光の確実な検出には至っていません。将来の大型CMB実験(例: LiteBIRD計画)は、この検出を目指しています。検出されれば、インフレーションのエネルギー尺度が直接的に制約され、最も確実なインフレーションの証拠の一つとなります。
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パルサータイミングアレイ(PTA): ミリ秒パルサーという非常に規則的な周期で電波を放射する中性子星のタイミングを精密に測定することで、宇宙を伝播してきた長波長の重力波(ナノヘルツ帯域)による時空の歪みを検出できます。複数のパルサーのタイミングを相関解析することで、重力波背景放射の存在を示すガルーン・フェルディナルド・ベアーズ曲線という特徴的な相関パターンを探索します。最近、複数のPTAグループ(NANOGrav, EPTA, PPTA, CHTAを含むIPTA)が、ナノヘルツ帯域の重力波背景放射を示唆する共通ノイズ信号を検出したと発表し、大きな注目を集めています。これは超大質量ブラックホールの合体など他の起源の可能性も指摘されていますが、初期宇宙起源の可能性も完全に排除されておらず、さらなるデータの蓄積と解析が待たれています。
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レーザー干渉計型重力波検出器: LIGOやVirgo、Kagraといった現在の地上の重力波検出器や、将来の宇宙重力波望遠鏡LISAは、ブラックホール連星や中性子星連星の合体といった比較的高い周波数の重力波を主に観測しています。これらの装置は、初期宇宙の相転移や宇宙ひもの振動など、より高周波数帯域のPGBを検出する可能性を秘めています。LISAは特に、PTAよりも高い周波数帯域(マイクロヘルツからミリヘルツ)を探査するため、異なる起源のPGBシグネチャを捉えることが期待されています。
未解決問題と今後の展望
初期宇宙重力波背景放射の探求は、宇宙論のいくつかの根本的な未解決問題に光を当てる可能性を秘めています。
- インフレーションの検証とモデル特定: PGB、特にCMB Bモード偏光の検出とそのスペクトル測定は、インフレーションのエネルギー尺度やインフレーションを起こした場のポテンシャル形状を直接的に制約します。これにより、無数に存在するインフレーションモデルの中から、どれが現実の宇宙を記述しているのかを絞り込むことができます。しかし、検出されなかった場合、インフレーション理論に修正が必要となったり、別の初期宇宙シナリオをより真剣に検討する必要が出てきたりします。
- CMBアノマリーとの関連: CMBの観測には、標準モデルでは説明が難しいアノマリー(例: 低マルチポールにおける異常、非等方性の偏りなど)がいくつか報告されています。PGBの観測が、これらのアノマリーの起源に新たな視点をもたらすかもしれません。
- 標準宇宙モデルを超える物理: PGBのスペクトルや特性が、インフレーション理論や相転移などの標準的なシナリオの予測と異なる場合、それは初期宇宙に未知の物理現象が存在した証拠となる可能性があります。例えば、超対称性理論や余剰次元理論など、素粒子物理学の標準モデルを超える理論が初期宇宙でどのように振る舞ったのかを知る手がかりが得られるかもしれません。
- PTA信号の起源解明: 最近報告されたPTAによる共通ノイズ信号がPGBであると確認されれば、それは宇宙論にとって極めて大きな発見となります。しかし、その起源がインフレーションなのか、それとも初期ブラックホール合体など別の原因によるものなのかを特定するには、さらなる観測データの精密な解析と理論的考察が必要です。
宇宙創成のこだまとも言える初期宇宙重力波背景放射の検出は、宇宙論の歴史における新たなマイルストーンとなるでしょう。複数の異なる観測手法による将来の観測が連携することで、この elusive(捉えどころのない)な信号を捉え、宇宙の始まりに何が起きたのか、その深淵な謎に迫ることが期待されています。PGBは、宇宙論研究における次なる大きなフロンティアなのです。