宇宙における対称性の役割:法則の根源から構造形成、バリオン非対称性まで
宇宙論は、宇宙全体の構造、進化、そして究極的な運命を探求する学問分野です。この広大な宇宙の物理法則を理解する上で、数学的な「対称性」の概念は極めて根源的な役割を果たしています。単なる図形の対称性にとどまらず、物理的な法則が特定の変換(移動、回転、時間経過など)に対して不変である性質を指すこの概念は、宇宙の成り立ちや進化の鍵を握っています。本記事では、宇宙論における対称性の重要性、そしてそれが破れること(対称性の破れ)が、初期宇宙から現在の宇宙構造、さらには物質と反物質の非対称性に至るまで、いかに深く関わっているのかを掘り下げます。
物理学における対称性の概念
物理学における対称性とは、ある物理系や法則が、特定の操作(変換)を行っても変化しない性質を指します。例えば、物理法則が時間によって変化しない(時間並進対称性)、場所によらず同じである(空間並進対称性)、どの方向を向いても同じである(空間回転対称性)といった性質は、それぞれエネルギー保存、運動量保存、角運動量保存といった重要な保存則と深く結びついています。これはネーターの定理として知られており、対称性と保存則の間の基本的な関係を示しています。
宇宙論においても、これらの基本的な対称性は非常に重要です。標準的な宇宙モデルであるΛCDMモデルは、宇宙全体が一様かつ等方であるという宇宙論的原理に基づいています。これは、宇宙のどの場所、どの方向を見ても平均的には同じであるという大規模な対称性を仮定しています。宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測などによって、この原理は非常に高い精度で検証されていますが、完全な一様・等方ではない微細なゆらぎが存在することも知られており、これが後の宇宙構造形成の種となります。
対称性の破れとその宇宙論的意義
対称性は物理法則の美しさや単純さを示す一方で、宇宙の進化を理解するためには、対称性が「破れる」という現象が不可欠です。物理系がある特定の変換に対して不変である状態から、そうでない状態へと変化することを「対称性の破れ」と呼びます。特に、法則そのものは対称であるにもかかわらず、系の基底状態(最もエネルギーの低い安定した状態)が対称性を持たない場合を「自発的対称性の破れ」と呼びます。これは、磁石の例で理解できます。磁石を構成するミクロな粒子は、どの方向を向いてもエネルギーが変わらないという回転対称性を持つ法則に従いますが、実際に磁石を見ると特定の方向に磁化しており、回転対称性が破れています。
宇宙の歴史、特に初期宇宙の高温高密度状態から現在の低温低密度状態への進化の過程で、いくつかの重要な対称性の破れが起きたと考えられています。これは、宇宙が冷えるにつれて、物理法則を支配する基本的な相互作用(強い力、弱い力、電磁力、重力)が分かれていった過程として記述されます。例えば、初期の非常に高温な宇宙では、電磁力と弱い力が統一された電弱相互作用として記述されると考えられていましたが、宇宙が冷えるにつれて電弱対称性が破れ、電磁力と弱い力として分離しました。この対称性の破れが、素粒子に質量を与えるヒッグス機構と関連していると考えられています。
初期宇宙における相転移と構造形成
宇宙の冷却に伴う対称性の破れは、水蒸気が冷えて水になり、さらに冷えて氷になるような「相転移」として考えることができます。初期宇宙における相転移、例えばQCD相転移(クォークとグルーオンが陽子や中性子といったハドロンに閉じ込められた過程)や電弱相転移は、宇宙の物質構成に決定的な影響を与えました。
また、宇宙論的原理が示す大規模な一様性・等方性からの微小なずれは、初期宇宙における量子的なゆらぎに起源を持つと考えられています。インフレーション理論では、宇宙の指数関数的な急膨張によって、この微小な量子ゆらぎが宇宙スケールにまで引き伸ばされ、現在の宇宙に見られる銀河や銀河団といった大規模構造の「種」となったと説明されます。この初期ゆらぎも、宇宙全体の一様性・等方性という対称性からのわずかな破れとして捉えることができます。
バリオン非対称性の謎
宇宙論における対称性の破れの最も根源的な問題の一つは、「バリオン非対称性」、つまり宇宙に反物質と比べて圧倒的に多くの物質(バリオン、例えば陽子や中性子)が存在する理由です。ビッグバン直後の宇宙では、エネルギーから物質と反物質が同数だけ生成されたと考えるのが自然です。しかし、もし物質と反物質が厳密に同数存在していたとすれば、対消滅によってほとんど全ての物質と反物質が光に変換され、現在の宇宙にはわずかな光しか残らないはずです。しかし、実際には私たちの宇宙は物質で満たされています。これは、初期宇宙において、わずかながら反物質よりも物質が多く生成されたか、あるいは反物質がより多く消滅するような過程があったことを示唆しています。
このバリオン非対称性を説明するためには、1967年にアンドレイ・サハロフが提唱した三つの条件が満たされる必要があります。一つ目は、バリオン数保存則が破れること。二つ目は、C対称性(荷電共役変換に対する対称性)とCP対称性(荷電共役変換とパリティ変換を組み合わせた変換に対する対称性)が破れること。三つ目は、宇宙が熱平衡状態から外れていること。標準模型の素粒子物理学では、これらの条件の一部(CP対称性の破れなど)は確認されていますが、観測されるバリオン非対称性の量を説明するには十分ではないことが知られています。この謎を解明することは、素粒子物理学と宇宙論のフロンティアの一つであり、新しい物理学の存在を示唆しています。
未解決問題と今後の展望
宇宙における対称性とその破れを巡る議論には、まだ多くの未解決問題が存在します。なぜ特定の対称性が破れたのか、ヒッグス機構の詳細、バリオン非対称性の正確な起源、そしてより基本的な対称性(例えば、素粒子と力を統一する大統一理論における対称性や、フェルミオンとボソンを関係づける超対称性など)が存在するのか、そしてそれらが宇宙のどこかで破れているのかどうかは、依然として活発な研究テーマです。
これらの問題は、高エネルギー加速器実験による素粒子の性質の探求や、CMBの詳細な観測、大規模構造の精密測定、重力波の観測など、様々な宇宙論的・素粒子物理学的観測や実験を通じて探求されています。宇宙における対称性の理解は、宇宙の最も基本的な法則、その始まり、そして現在の姿を織りなす物理プロセスの根源に迫るための、今後も重要な鍵であり続けるでしょう。